1月11日放送の「あなたの知らない京都旅」は辰年にめぐる都の龍SPだったのですが、中村雅俊さんが相国寺さんの次に訪れたのが建仁寺さんでした。
1月18日までTverで見逃し配信されています。
相国寺、建仁寺、青蓮院将軍塚青龍殿、平安神宮、善峯寺の龍にまつわる回です。
建仁寺さん、昨秋の10月はじめに久しぶりに訪れたのですが、辰年に絡めて記事にしようかな、でも、どのようにまとめようかとうだうだとしていたところ、タイミングよくこの番組を観たわけです。^-^;
まず中に入ってすぐ出迎えてくれるのは、俵屋宗達筆の「風神雷神図屏風(複製)」
(番組でのご住職のお話では)宗達は一面にまずは金箔を貼り、その上に絵の具で風神雷神を描いたそうですが、立体感を出すために絵の具に厚みをつけたため、よく見ると風神さんの眉毛などは剥げ落ちているそうです。
(まったく気が付いていませんでした。今度行ったときには、ちゃんと眉毛をチェックしてこようと思います。^-^;)
方丈庭園 大雄苑(だいおうえん)
水を使わずに大海原を表現しています。
一番高い山(石)の頂上に雨が降り、それが流れ落ちて大海へとつながっているのだそうです。
花頭窓からは、川の流れと海の流れが見えるようですね。^-^
さて、法堂(はっとう)の中の双龍図と釈迦如来坐像。
双龍図は縦11.4m 横15.7m、阿吽の口をした二頭の龍です。
平成十四年(2002年)、建仁寺建てられて800年を記念して、小泉淳作氏が描きました。
そしてこの平成に描かれた龍は今までの龍とは決定的に違うところがあるそうです。
それは建仁寺の双龍図の龍の爪が5本ということ。
もともと中国の龍は皇帝の象徴と言われていて、その爪が5本。
そして朝鮮半島やベトナムは4本、日本は3本と決められていたそうです。
↓相国寺の蟠龍図(ポスターですが、^-^;)をよく見ると、3本爪です。
↓瀧尾神社の木彫の龍の鋭い爪も3本でした。
現代だからこそ、5本爪の龍が描かれているのですね。
こちらは方丈の礼の間の約四百年前に描かれた雲龍図(複製)。
海北友松(かいほうゆうしょう)の筆によるもの。
海北家はもと浅井家の家臣だったそうですが、信長に滅ぼされました。
40歳で還俗して武家を復興させようとしたそうですが、
秀吉に止められ絵師の道に進んだそうです。
「礼の間」はお客さんが住職に挨拶するためのお部屋だそうですが、龍はそのお客さんを睨みつけているそうです。うん、たしかに睨んでますね。^-^
以上、番組から得た知識でした。^-^
さて、こちらは竹林七賢図。
海北友松の六十代後半の作だそうです。
「七賢とは中国の西晋代に世俗を避けて竹林に会して清談にふけった七人の隠士のこと」(建仁寺のHPより)。
唐子遊戯図 田村月樵筆(明治時代)
風神雷神 金澤翔子筆
「瀟湘夜雨(しょうしょうやう)」 細川護煕筆
細川氏、「瀟湘八景図」襖絵二十四面を奉納されました。
「江天暮雪」
「遠浦帰帆」(手前)と、奥がたぶん「平沙落雁」
「洞庭秋月」
「漁村夕照」と「山市晴嵐」
「烟寺晩鐘」
こちらの達磨絵も細川護煕氏の作品です。
↓建仁寺塔頭の「正伝永源院」にも襖絵を奉納されています。
田村月樵、遺愛の大硯。
唐子遊戯図はこの大硯で描かれたのでしょうか。
○△⬜︎は、 地(□)水(○)火(△)をあらわしたものだそうです。
○△⬜︎乃庭
潮音庭
四方どこから見ても美しいお庭。
紅葉の時期に来よう来ようと思いながら、いつも行けてませんが、次の秋には行きたいと一応目標をたてておきます。^-^;
前に行った時の記事。あれからずいぶん時が経ってる、^-^;
さてと、久しぶりに俵屋吉富さんの「雲龍」が食べたくなりました。